11月3日から4日間、ニュージーランドから来日したドナルド・マクミナミン先生の「共同的修復的実践」ワークショップに参加した。
東京両国会場に集まった人はカメラ越しに見て、40名ほど。
かたやオンラインは10名と少し。
会場は、久しぶりの対面だからなのか、あちこちで再会を喜ぶ挨拶の姿が見える。現地に行けなかったことは残念だけど、オンラインでも参加できることがありがたい。
最初の語りは「人生は図書館のようなもの」という言葉だった。修正したくなるものも、さらに発展させたいもの、いろんな物語が収納されている図書館のメタファーから始まった。
4日間を通して繰り返し語ってくれた、大事な言葉がある。
「問題が問題である」
「誰も責めない」
ナラティヴの根幹。
対人支援にかかわる私たちを図書館司書になぞらえて語ってくれたのは、その人のどんな物語を探していくかというところ。
とりわけ印象に残ったのは、「その人にもっと栄養を与えてくれるような物語を、その人が自分を強く感じられるアイデンティティを持てるように支援すること」という言葉だった。何故ならば、「あなた自身が問題ではないため」と。「栄養を与えてくれるような物語は気分がよくなる」確かにそう。
自分に栄養を与えるような、自分支援をしているだろうか・・・「栄養を与える」なんて素敵な言葉だろう。
この言葉も素敵だった。
「すべての行動(行為)は、どんなに小さくても、その人のアイデンティティを示すもの」
「だから、その人に栄養を与えてくれる物語を探したければ、その人がどんなことをするのかを見ることである。それはその人のアイデンティティを物語っているから」
栄養を受け取った4日間だった。