オフィス今岡

「自分らしく生きる」ことを支えるアサーションをテーマに、研修・ワークショップ・執筆を行っています。

三訂版「アサーション・トレーニング」に寄せて~今こそ活きる考え方と技術

アサーションという考え方・技術にふれて、バイブルのように手元に置いていた平木典子先生の「アサーション・トレーニング~さわやかな<自己表現>のために」が11年ぶりの改訂となり、三訂版が発行された。

累計15万部というアサーションの基礎テキストは、今回も足元とその先を照らしてくれるようで、静かに気持ちが揺れた。 

 

コロナ禍という世界的不安に生きる時代に改訂された三訂版の序章の言葉は、柔軟で力強い。

 

「今、私たちに必要なことは、ますます機械化され、単純化されていく時代のコミュニケーションに、豊かな人間の関わりをもたらすコミュニケーションを取りもどすことだと思われます」(序章から引用)

そして、「いつの時代にも、どこでも通用するアサーションであるが、その意味は時代、場面によって異なってくる」と続く。

 

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心に響き、思いだした経験がある。

 

第2章「ものの見方・考え方とアサーション

人の言語・非言語を合わせたコミュニケーションに影響を与えるものの見方・考え方は、その人が生まれ、育った国、言語、地域、環境、家族、友人、性別等、いくつもの要素が関係し、育まれ、知らず知らずのうちに身についていく(身につけていく)。

 

わたし自身も家族を含めた周りの人々、住んでいる場所、一般常識や当たりまえと言われるルールのようなものから、自分が必要だと思うもの、生きやすいと思うものを選択しながら生きてきた(と思っていた)。時には自分に合っているかどうかもわからないまま、与えられる周囲のアドバイスに応えようと進路や言動を考え、行動化してきた(と思っていた)。何が正しいか、自分らしいのかもわからないままに。

この章で、自分自身が選択したと思い込んでいた自分の「ものの見方・考え方」は、実は社会文化的な影響を大いに受けてきていたのだと理解させてもらった。良い悪いではなく、そうやって凌いでここまで来たということに気づく。

思いだしたのは、進学先を親や親せきにあれこれ言われ(志望先を反対され)、就職先も周囲のアドバイスがうるさく(地元に帰る可能性がない会社だと反対され)、「一人っ子」であることを実行してはいけない行動の理由にされ、自分で決めたと思えないことばかり。期待に応じようとするものの、失敗(と思われること)をすると、自己責任という世論がのしかかり、窮屈さにジタバタした。「やってはいけない」、「言ってはいけない」、「〇〇なんだからこうするべきだ」という考えをいつからか、どこからか、無意識に仕入れてしまっていた。

 

平木先生がアサーション・トレーニングを日本に紹介されてから、まもなく40年になろうとしている。最初にこのトレーニングに関心を持った方は、女性、看護職、国際的な仕事をする企業の人々・・・今でいうところのエッセンシャルワーカーの方も多かったようだ。相手をたて、一歩下がったところにいたその方々は、「自他尊重」が成り立つコミュニケーションとはどんなことかを学び始めた。それから随分時間が経ち、アサーション・トレーニング(さわやかな自己表現)はどのくらい人に勇気を与えたことだろう。

 

時代の課題がある。

「いつの時代にも、どこでも通用するアサーションであるが、その意味は時代、場面によって異なってくる」

今こそ、活きる考え方であり、技術だと確信した。

 

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