1か月ぶりのブログである。
前回のブログからかなり時間が空いてしまったのは、書いた直後に体調を崩してしまい、気力・体力がなかなか戻らない経験をしたというのが理由の1つ。
力が戻らないと自信を失う。
言葉を探し、書き留めることにも影響があるのだとわかる。
やっと少し戻ってきた頃、この夜ドラが始まった。
このドラマに援けてもらい、チカラをもらった。
尼崎の風景、関西の言葉、そして出演されている俳優のみなさんがとても人間らしくて、魅力的だった。コロナというわけのわからないウイルスに翻弄され、仕事を奪われる。家族や友人、働く場を同じくする人々、ドラマに登場するすべてのキャストのその人らしさが随所に散りばめられていた。怒りをぶつける先が見えない中で、自分に向けてしまったり、相手にぶつけてしまったり。どちらも解決には向かわないけれども、その道を通らなければ、先には進めないこともある・・・そんなことを気づかせてくれた。久々にスカッとしたドラマだった。
ドラマとともに援けてもらったのが、友人のKさんの存在だ。
エネルギーダウンしているときは、他者が眩しく見えた。一面しか見えてない自分に気づくこともできないままに。
そんなときにKさんと会った。
閉じていた窓に明かりが射したように思えた。
低空飛行しているようだと語るわたしの話を、詳細にはわからなくても決して問い質すことはせずに、わたしのペースを守りながら最後まで聴いてくれた。
「問い質さない聴き方」は、心の重石を軽くしてくれ、何より安心できた。
わたしも話し手が安心を感じられる、そんな人でいたいとつくづく思った。
語りを聴いてもらって、わかったこと。
他者の人生が順風満帆に見えるときこそ、自分に目を向けて、「わたしの人生」も大事にしたい。
うまくいかないことも失敗もある。
調子よくて、こわいくらいのときもある。
凸凹あって、ここまで来た。
「わたし」を大切にしていいのだ。
聴いてくれたKさんに感謝。